鷲田清一さんの「じぶん・この不思議な存在」を読みました。
<わたし>とは<わたし以外の存在>によって語り出されるもの。
誰(何)をじぶんとは異なる<他者>とみなしているのか。
わたしたちは、わたしたち”でない”人を知ることを通してしか自身を知り得ない。
「他者の他者」の話も面白かった。
「じぶん」が切り出されるために大事なのは「他者」から「他者」と思われること。
これは、他者に影響を与えることができるということ。
子が親に「嫌い」と言って、親が「そうなのね(受容)」「なんだと!(反発)」というのは子の意思を認識した上での対応。
つまり親が子を「他者」として扱っているため、子は親に影響を与えられている。
一番危ないのは、「嫌い」に対して親が「そんなこと言ってるけど本当は好きなのわかってるよ」と返す対応。
親は子を「他者」として認識しておらず、「子は自分の想像の範囲内のものである」という「子の意思(存在)の無視」となる。
子は何を言っても親に影響を与えられない=存在を認められていない、となる。
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